Cataclysm by Brian Caswell

 ホッピング用の即戦力的なトリックが欲しくてなんとなく買ってみた。ずいぶん前のトリックだし外れはしないだろうと思って。

 個人的にはイマイチだなと思った。「んーこれもしかして?」と思っていたトリックそのままだったし。現象としてはかなり不思議だから、実際に演じてみればそれなりに反応がよさそうなのは予想ができるんだけど、いかんせん荷物が多すぎる(これが最高にネック)し、覚えることが多くてしんどい。ホッピングにも向いていると書いてあったけど、率直に言ってこれをホッピングでやるのは色々とかったるい。これなら別のギミックデック使う。

 いろんなとこのレビューに目通した限りでは好意的な反応だったから期待したんだけどなあ。すごく不思議だけど制約とかいろいろ含めるとイマイチ。

 Instagramとか使ってやれば荷物も減るかなあ。でもiPhone絡めると一気にフェア感なくなって嫌なんだよなあ。そこまでして演じる気もあんまりないや。

映画『クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』

 ひとりで観ていてボロボロ泣いてしまった。涙なしには観られない映画だった。正直、退屈な場面も多かったが、そうした欠点がどうでもよくなるくらい、これはとてもよくできた映画だと思う。

 冒頭で野原ひろしがマッサージ店で目覚め、帰宅する。このシーンは非常に巧妙だ。実際には『野原ひろし』から『ロボとーちゃん』に視点がすり替わっているのだが、その時点での観客は「野原ひろし」が改造人間にされてしまった、とミスリードされる。主観視点で帰宅するとき、人格や記憶など全てが『野原ひろし』そのものであり、同一性および連続性があるということが示唆されているからだ。

 これがラストシーンで生きてくる。

 再びラストシーンで『ロボとーちゃん』の主観視点に切り替わる。このシーンの切なさは圧倒的だ。もう思い出すだけで泣きそうなくらいだ。あくまで『ロボとーちゃん』は『野原ひろし』の複製に過ぎないことがわかっている。プログラムを書き換えられればすぐに暴力性を発露できてしまう危うい存在だということもわかっている。

 しかし、あの時点で実際に『ロボとーちゃん』の体験しているリアリティは過去の『野原ひろし』の人生と地続きなのだ。『嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』の回想で描かれた、父の自転車の後ろに乗り、みさえと恋に落ち、しんのすけやひまわりの父として、家族を支えるために必死で働く、そのリアリティそのものなのだ。そのことが、冒頭の主観視点と繋がって感覚的に理解できるようになっている。

 そして『ロボとーちゃん』は、自分からすれば偽物でしかない『野原ひろし』と腕相撲をする。自分は『野原ひろし』でありながら、みさえの「あなた、勝って!」というその言葉が、自分に向けられたものではない、ということに気がついてしまう。そうして自分の家族を、もうひとりの『野原ひろし』に託すのだ。あのシーンで描かれているのは紛れもなく『野原ひろし』の"死"であり、その家族との離別に他ならない。

 「すまんな、しんのすけ……俺は、お前のとーちゃんじゃなかったみたいだ……」

 ひたすら痛切だ。こんなに悲しい映画は見たことがない。

 ただ、小さな頃からなにげなく『クレヨンしんちゃん』という作品を観続けてきた世代だからわかる作品なのかもしれないな、とも思う。熱中して観ていたとかそういうわけではないが、テレビで気がつくと流れていたアニメだからこそ、バックボーンが理解できたり、さまざまなことを頭の中で補完できるのかもしれない。これを『クレヨンしんちゃん』の中身を知らない方が観ても退屈なシーンが多いので、少し辛い気はする。

Birdie『世の中で悪用されている心理テクニック』②

 Birdie氏の著書を読んで考えたことを書いてみる。

 ダレン・ブラウンが冒頭で語っている通り、自分の催眠術が本当に掛かっているのかどうかということは基本的にわからない。それはBiridie氏も著書のなかで語っている通りだ。それは感情・感覚支配より深いトランス(記憶支配・味覚支配・幻覚支配など)になるとより顕著になる。それは催眠現象を本人しか体感できないということに由来している。トランス状態を把握するさまざまな生理学的指標はあるが、本当に観客に催眠現象が起こっている、ということは保証されない。なぜならそれはクオリアであり、「本当に面白くなっているのか」「本当に忘れているのか」「本当に味が変わっているのか」("本当に"の定義はとりあえず措くとして)という主観的体験の成否を問うことは困難を極める。喩えるならそれは同じ赤を見て「あなたは私と同じ赤を見ているのか」と問うことと同義だからだ。

 ありていに言えば即席のサクラになっている(なってくれている)可能性が常にあるということだ。催眠術というのはそうした曖昧さの上に成り立っているものであって、どれほど優秀な催眠術師であろうと、観客に現象が起こっているのかどうかは定かでなく、基本的には手探りで催眠術という一連の手続きを行っている。

 ただ即席のサクラという考え方はそれほど悪くはない。パフォーマンス本意で考えれば結局のところ「あなたはこのペットボトルが面白くなります」と言いながら催眠術師が指を鳴らし、ペットボトルを凝視しながら観客がそれに釣られて笑ってさえくれれば、催眠現象として、あるいはその場に於いてはショーとして成立するからだ。つまり現象を起こした者勝ち、ということになる。観客が笑ったフリをしてくれていようが、催眠術的な手続きによって笑ってくれていようが、それはどちらでもいいことだし、こっちからすれば結局どちらなのか判断できない。メンタルマジック等ではより不可能性を高めるためにその場でサクラを作るという例はしばしばある。

 催眠術とはそもそも行動の外在化を強調する言語的表現により、現象の非自発感を高めたものでしかない、とする言説がある。『現代催眠原論』を読むとその下りは出てくるはずだ。ことカタレプシーや被暗示性テストなどに関しては、この言説には合理性があると思っている。最もポピュラーな"指の接近"が催眠術ではなく、観念運動によるものであるというのは有名な話だ。指が閉じていく観念運動(類催眠現象)を、非自発感を高める言葉遣い(どんどん指がくっついていきます……)によって催眠術に掛かっていると錯覚させることで、トランスを深めていくというプロセスはこれそのものである。また、凝視法によって導入を行う際に目の疲労を利用しながら非自発性の高い話法を使うのも同様である。カタレプシー等も筋肉の疲労などを利用することが多く、この言説にはかなりの説得力がある。

 また、感情支配域よりも後になっても、これはかなり実感に即している。詳しくは述べないにしても、観客の感情をテクニックで"釣り"、それをさも非自発的な言葉遣いによって外発的に起こっているかのように錯覚させるプロセスを辿るからだ。ここからは観客の自己催眠という要素が入ってくるが、威光暗示(これがほとんどでは?)、非自発的な言葉遣い、催眠術の細かなテクニックによって自己催眠に誘導しているのだと考えれば、この説は充分に説得力を持つ。これは記憶支配だろうが感覚支配だろうが同じことだろう。

 また、催眠術的な手続きの仰々しさや、催眠術師の威光の形成によって「空気を読めよ」と言外に伝えてしまっているケースは充分に考えられる。たとえばもっとも深いトランス状態が必要と言われる幻覚を見せているとき、相手は空気を読んで「見える」と言ってくれているのかもしれない。また、本人の自己暗示により本当に見えているかもしれない。よく幻覚を見て泣いている映像があるが、単純に幻覚を見ているというよりはより強い感情を喚起され、思い出して泣いているだけの可能性もある(そしてそれを上手く利用したのがBirdie氏の"イージーファントム"ではないか)。そして、どの場合も催眠術師から区別はつかない。ただ、パフォーマンスとしてはどれも成功しているので、どれでも構わない。

 Birdie氏の「この世の全てが催眠術であるし、この世に催眠術など存在しないとも言える」という言説は正しいと僕は思っている。

フォーク曲げMAGIC DVD by S&C

 S&C Magicという会社はどうやら東急ハンズなんかで取り扱っているブランドらしいが、そのわりには何故か妙にマニアックな内容になっている。いくつかのポピュラーな技法も収録されているが、このDVDでしか観たことのない技法がいくつか収録されている(まあ、それ目当てで買ったんだけれども)。このディーラーのオリジナルなのかもしれない。

 フォーク曲げのルーティンがひとつあればいい、という向きは『CRANE』を買っておけばいいと思うが、ベンディングの技法マニアという謎の趣向を持っている人にはお勧め。値段もそんなにしないので。

 ギミックは好き嫌いがあるのでお好みで、という感じ。最近は遊び心でギミックを使うのもいいなあなんて思ってはいる。

Birdie『世の中で悪用されている心理テクニック』①

 私淑するBiride氏が本を出したと知りすぐさま買いに。

 初めてこのタイトルを目にしたとき、率直にこう思いました。ついにBirdie氏も、胡散臭いビジネス心理学の本を出すようになってしまったのかと。出版社もビジネス書とか自己啓発書で有名なフォレスト出版だし。まあ生活かかっているからなあ、Birdie氏クラスでもマジシャンはいろいろ苦しいのかなあ、なんて思っていました。

 しかし読めばわかりますが、これはそんなチャチな本じゃあ断じてありません。いやいや、濃い。スゲー濃い本です。しっかりとビジネス書の体裁を取り繕っていますが、これはビジネス書の皮を被った、れっきとした催眠術の本です。そして、これまでのいかがわしい催眠術というもののイメージを脱構築していく本でもあります。催眠術そのものは全く知らなくてもそれなりに楽しく読むことができますが、おそらくある程度は催眠術というものに興味のある方に向けて書かれている本じゃないかと思います。

 Birdie氏のことを知っているマニアは喜んで買うでしょうが、少しでも催眠術に興味があれば買って読んでみることをおすすめします。僕の好きなまた別のマジシャン(もちろんDaiGoじゃないですよ)が俗流心理学の域を出ない、しょうもないビジネス書をいくつも出しているのにはガッカリしているのですが、こちらはさすがBirdie氏といったところ。ファンサービス旺盛です。むしろこれだけ催眠術に関することばかり書いていると、ビジネス書としての採算を考えて書いているのだろうかと心配になります。

 『Hypnotism Bend』シリーズ以上に、率直かつ誠実な語り口の催眠術レクチャーを未だかつて僕は観たことがありませんが、本書でもそうした語り口は健在です。Birdie氏がふだん何を考えて催眠術をかけているのか、催眠術についてどのように考えているのかについて、自らの経験に基づき書いてあります。

 もちろんこの本を読んですぐに催眠術を使えるようになるかと言われれば、ちょっと難しいところもあります。催眠術に全く触れたことのない方が、ベラベラと口からデマカセを喋ったり、誘導したりするにはちょっとだけ練習が必要なので。とはいえ、この本の『30秒カタレプシー』のスクリプトをそのまま使って練習していれば、本当に読んだ通りの催眠術が掛けられるようになることは確かです。しっかり観客を選びながら本番を繰り返し続けていれば、そのうち掛かる人が必ず出てきます。たかだか千円ちょっとでカタレプシーが身につけられる、ビックリするくらいお得な本です。

 何気に『好き好き催眠』も特典になっていて、そっちはまだダウンロードしていないのでわからないのですが、おそらくBirdie氏のことなのでいい加減なことは書いてないはずです。

 もちろん催眠術をパフォーマンスとして既に実践している人間にとっても本当にヒントの塊のような本です。少なくとも『Hypnotism Bend』を繰り返し観て、独学で催眠術を身につけようとしている方は、この本を読んだら飛び上がって喜ぶんじゃないでしょうか。巷の催眠術師があえて喋らないようなことをはっきりと書いていますから。

 催眠術愛好家がお互いに催眠術を掛けあうだけのジメジメとした陰気な世界でファンタジーを目指すのではなく、実践本意のパフォーマンスで観客を楽しませられる催眠術はどこまで可能なのか、それを問い続けたBirdie氏だからこそ書けた本だと思います。

 超能力とオカルトについて語るBirdie氏の姿は小川心平さんとカブりますね。

Chris Ramsay

 Chris Ramsayのストリートマジック、新しいのがYouTubeにアップロードされてた。彼のチャンネル観てるけどまったく気がつかなかった。ストリートマジック動画がとても面白い。ストリート的なマジックを主にやっているんだけど、メンタルマジックをときどきやっているんだよね。そのスタイルがいいなあというか。

 ちょっと前までストリートマジシャンで売ってるようなトリックを買い集めていた時期があって、まあ、例のごとくあんまり演らなかったんだけど、そういうトリックを上手に扱っているのを観ると「やってみるかなー」なんて気にさせられる。DecibelとかExact Changeとか、買ったきりでさっぱりやってない。テーブルホッピングをするときなんかも、ストリートっぽく演じたいなーと思うときはあるんだよね。最近はメンタル偏重だけど。

 そういえば、Chris RamsayのRed Pillも、Darkslideも買ったけどぜんぜん演じてないねえ。どっちもいいトリックなんだよね。ただタイミングがないだけというか。

 しかし、シカゴ・オープナーって鉄板過ぎるけど、本当にいいマジックだよね。やってる側の面白みは全然ないけど、ついついやってしまう。マジシャンのレパートリー率100%じゃなかろうか。いやマジで。

フォーク曲げについての問いかけ

 フォーク曲げてたらお客さんに「手で触らないで曲げられるってことは、手で触らずに曲げて元に戻せるんですか?」と尋ねられて答えに窮した。言われてみれば確かにそうだよね。結局いつも通りフッてやって戻したけど。X-MENかよ。

 まあ全体的に少し挑戦的な観客だったけどね。ブレインウェーブデックに「もう一度やれ」とか。中年のおじさんばっかりだったし。その人は女性だったけど。

 メタル・ベンディングは現象そのものを見せるというよりも、本質的には演者の能力を見せつけるアクトだから観客の敵対心を煽りやすい。しかしメンタルとか催眠術をやるなら「この人は超常的な何かを起こせるのかもしれない」と思ってもらわないと話にならないわけで、この辺はトレードオフにならざるを得ない部分はある。誰だってプライドはあるのだから。