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Magic Cafe BIRDIEに行ってきた。

 私淑するBirdie氏の『Magic Cafe BIRDIE』に行ってきた。特にスケジュールも確認せずに行ったのでBirdie氏に会えないかもしれないなーと思っていたが、結局ほかのお客さんがいなかったのもあり2時間近くも独占状態であった。マジで素晴らしすぎる。

「DVD買っています!」といい歳こいて興奮気味に迫る僕の無茶なリクエストにも答えてくれたり、それどころかお土産までくれて(わかる人にだけわかる)解説までしてくれるサービスぶり。長野県から遠出して来たから気を使ってくれたのだろうか。このお土産の金額を考えると飲み代が実質タダになってしまった。太っ腹すぎる。

 MRIペンデュラムも見せてもらった。DVDに収録されているものとは違うバージョンの演技で、さらにクレバーな方法になっていた。なんでこんなことが思いつくんだろう。これは発表されるのかわからないけれど、現象そのものをアウトにして、催眠術に重きを置く、よりBirdie氏らしい方法だと思った。

 マジックを観ているというよりはほとんどレクチャーを観ているような気分で、始終感動しっ放しだった。迷惑と知りながらもDVDのわからない部分や、催眠についての突拍子のない質問(なぜヒプノティズム・ベンドには「覚醒暗示」の解説がないのか。これは率直にかなり気になっていた)にも戸惑いつつ答えて頂き、本当に有り難かった。嫌なマニア客だと思われたんだろうなあ(笑)。スミマセン。

 こんな店にすぐ行ける関西の人たちが羨ましい。また行きたいなあ。

サロンマジックのルーティン

 

 最近はルーク・ジャーメイの『ジャーメイズ・マインド』に収録されているトリックをサロンマジックで使わせてもらっている。

 『エクステンデッド・トスアウト・デック』はなんだかんだで製作するのに半日かかったが、労力以上に使い勝手がいい。何回か演じてみて慣れてしまえば演者に負担はほとんどなく、マインドリーディングの演技に集中できるのが素晴らしい。「カードマジック」だと思われないためには、ただ当てるだけでなく軽いリーディングとか"当て推量"を挟んだほうがいいのだろうなと思っていて、この辺りの練習もしやすい。

 問題はリフィルが手に入るかどうかで、今のところは大丈夫っぽいが、いずれどうなるかがわからないところ。耐久性はあるのでしばらくは使っていられそうだけど、ううむ。

 『コネクテド』も演じてみる前は「なんか面倒だなコレ……」と思っていたけれど、実際に用意してやってみるとほとんど負担がない。

 だいたいこの辺りまでやると自分の持ち時間が終わってしまうのだが、時間が余った時は超能力実験風に『カラー・ブラインド』を目隠しでやってみたり、『ゼナー』なんかをやってみたりする。

 『タッチング・オン・ホイ』以降は条件が揃わないのでまだやってない。本当はやってみたいんだけどね。そのうち機会があれば。あれが本番みたいなところあるし。

 ルーク・ジャーメイの作品はとにかく演者の負担を減らし、いかにリーディングで演出の濃度を高めるかということに特化している。まあメンタルマジック全体がそういう性質を持っているといえばそうかもしれないが『タッチング・オン・ホイ』などはまさにそれを地で行くものだろう。逆にいえば演者の力量にかなり左右されるわけで、その辺まだあまりうまくやれていないので、これから練習していかないとなあとは思っている。

映画『スクリーム』を観た。

 このシリーズ観たことなかったんだよね、実は。そこかしこで「ホラー好きです」と言ってるのにこのシリーズ観てないのはどうなのとも思っていて、今回レンタルしてきて通しで観てみた。

 率直にかなり面白い。最近は別の作業をしながら流しで映画を観ることも増えたけれど、一作目の有名な冒頭(ドリュー・バリモアが電話しながら殺される場面)シーンから引っ張られ、ぶっ通しで四作目まで観てしまった。

 スラッシャー映画を観ているときの(たとえば『鮮血の美学』を観ているときのような)いかがわしいものを観ているような下世話な感覚というか、殺人鬼に対する恐怖心を執拗に描写したり、やたらと悲惨さを強調したり、過剰なゴアシーンを見せつけたりするような、ジメジメとした陰湿さがほとんどなく(一作目はちょっとだけあるが)、どっちかというと二作目以降はもはや海外の連続ドラマを観ているような感覚だった。まあ低予算ホラー映画に比べるとぜんぜん商業的な作品なので、当然ではあるのだろうけれど。

 ホラーというジャンルに対する自己言及性の高い映画だけど、基本的に娯楽性を主とした"観客の想定を裏切っていく"タイプのメタフィクションであって、暴力や倫理だのの小賢しいメッセージとか批評性がほとんどないのも、ホラーというジャンルに対する愛情が感じられてとてもよかった(俺はミヒャエル・ハネケの映画が大嫌いなんだよ。『ベニーズ・ビデオ』だの『ファニーゲーム』だのがさ。「暴力を娯楽として消費している」なんて、PTAの小うるさいおばさんと変わらない言説だろう?)。ウェス・クレイヴンが知性的なイメージなのはこの映画が理由なのだろうなあ。

 ホラー映画の登場人物は概ね「殺されるためだけ」に出てくることが多くて、取ってつけた書き割りみたいなキャラクターであることが多いけど、この映画はシリーズ通してメインキャストが共通で(この辺も連続ドラマ感がある)、キャラクターがきっちり立っている。これはホラー映画ではかなり珍しい。このあたりの造型がしっかりしてるから四本もナンバリングが続いても面白く観られるんだよな。これだけ撮ってほとんど同じように楽しめる映画(ホラーなんて特に)なんてほとんどない。たいていは2-3で失速してしまい、あとは出がらしになる。

    みんな美人揃いなのもポイント高いよね。シリーズ通して主演から脇役までどこに目を向けても美人、美人、美人……。女子命!のホラー映画にとってここまで美人使い放題なのは垂涎ものじゃないのか。ネーブ・キャンベルもコートニー・コックスも綺麗だし、サラ・ミシェル・ゲラーも出ていた。

 その反面、疑問が生じるくらい男のクールやセクシーさとは無縁な構成なのだけれど。

アンビシャスカードについて。

 

 アンビシャスカードが素晴らしい古典カードマジックであることには異論の余地がない。ただ個人的に好きかどうかと聞かれると、あまり好きではないというのが本当のところ。

 アンビシャスカードは「もう一回やって!」というリクエストに応えやすいのもあって、演者と観客との対立を招きやすいと思う。ケチをつけるわけじゃないが前田知洋氏の可能性をつぶしていくスタイル(カードを二枚めくっているという人もいる、中から抜き出しているという人もいる……)を真似すると、さらに演者と観客との"勝負"みたいになってしまうところがある。演出次第だろ、という意見もあるだろうがあれはそれ以前の問題で、観客は潜在的に「カードマジックにはトリックがある」という認識なので、前田知洋氏が可能性をつぶしていけばつぶしていくほど観客との対立を煽ることになる。まあ、ラストで大がかりなアンビシャスカードを演じて「いやー、こりゃもうわからん、負けた。素晴らしいマジシャンだ」という感じになるのがあれのいいところではあるのだろうし、実際にそれで一世を風靡したんだけれども。

 まあアンビシャスカード自体ほとんどやらないのだが、よほどやることがないときにはやっている。個人的にはパームやミスディレクションでカード・トゥ・マウスを挟んだりするスタイルの方が好き。

 ミスディレクションを駆使するスタイルってなんとなくストリートマジックぽい雰囲気がある。勝手なイメージだけど。初期のストリートマジックってなんとなくミスディレクションを多用しているイメージじゃない? 違う?

 トライアンフはもっと嫌い。いちばん好きなのはシカゴオープナー。次点でアウト・オブ・ディス・ワールド。

Triad Coins by Joshua Jay

 

 Joshua JayのTriad Coinsを買った。 前に本人のレクチャーに行ったときに欲しいなと思いつつ見送ったのだが、なんとなく最近になってまた欲しくなりけっきょく買ってしまった。

 普段ほとんどコインマジックをしない(ウィッチハンドとか、ベンディングくらい)のだけれど、コインを全く使わないのも勿体ないなと思い、手軽に見せられそうなネタとして買ってみた。シンプルで現象もわかりやすく、技法を使わないので難しくない(というか、同じ現象をスライハンドでこなすテクニックを身につけることを考えたら簡単すぎるくらい)。エンドクリーンで、かなり気に入っている。ちょっと値は張ったけど、ギミックの内容を考えれば全く高いとは感じない。

 まあ演じてる側の気分としてはやっぱりコインよりはメンタルの方が面白く感じてしまうので、あんまりやらないかもしれないが、ときどきテーブルホッピングでメンタルをやっていると場の雰囲気に比べて「重いなー」と感じてストリート的なネタに切り替えることもあるので、そういう時にご登場願おう。

映画『永遠のヨギー ヨガをめぐる奇跡の旅』を観た。

 

 この映画の情報はずいぶん前にネットで知っていて「日本でもやるのかしら?」と思いつつ放置していたら、TSUTAYAのドキュメンタリーのコーナーに新作で置いてあったので借りてきた。

 ビリーバー向けの宗教映画、というのが率直な印象。もうちょっと一般向けというか、ソフトな感じを想像していたのだが、思ったよりもスピリチュアルな要素が濃く「何言ってんだコイツ?」となることしきりだった。出てくる人たちもみんな目がいっちゃっていてなかなかヤバい。唐突に原爆投下の映像が挟まれたり、白の背景でビリーバーの方々がヨガナンダの思想を語るくだりなど、もうとにかく胡散臭い。ババジやユクテスワも出てくるし、インドとか神秘思想とかそういうニューエイジな匂いがプンプンで、この手の雰囲気が好きな人にはたまらない映画。

 映画のなかでジョージ・ハリスンのインタビューとか、スティーブ・ジョブズをめぐるエピソードもある。「彼の思想はビートルズスティーブ・ジョブズに影響を与えてるんだ! すごいんだぜ!」と言いたげな(いや、実際スゴイけども)一方で、彼の思想そのものについてはあまり語られないのが残念ではある。まあそれも致しからぬことだが、そういう意味で「続きはWebで」ならぬ「続きは自叙伝で」の映画になっている。

 もともと僕はヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』を知ってはいて、そのうち読もうと思っていたくらいだし、精神世界とかスピリチュアルがそもそも好きなある種のマニアなので、この映画のカルト臭い雰囲気も楽しんで観られたが、そういう世界にまったく興味のない人が観ても退屈であまり面白さを感じられないだろう。まあそんな人は観ないだろうけど。

森達也『オカルト』を暇つぶしに読んだ。

   たまたま時間があって図書館に行ったら森達也の『オカルト』という本が置いてあり、借りてきて読んだ。出版当時まさに旬だったDaiGoのことなんかも出てきたりして(宣伝?)、読み物としてはなかなか面白い本だった。

 こうした本で超能力について取り上げるとき、いつも気にかかるのは「手品でも可能だが」とマジックに目配せはするものの、考察する側があまりにもそのトリックに対して無知なことだ。つまり「現在のマジシャンはトリックでどこまで可能なのか」という実践のパースペクティヴが圧倒的に欠如している。手口を知らずに詐欺師を見抜いてやると息巻いているようなもので、彼らは永遠に騙されつづけることになるだろう。この本でもDaiGoのトリックが見抜けなかったことを「トリックはなさそうだった」と書いてしまっているし。完全に手玉に取られとるやんけ。

 それともマジシャンに対して種明かしをしないような"配慮"なのか。

  僕自身はスプーン曲げのトリックは知っているし、実際にルーティンに入れてもいる。「これってマジックなんですか?」と聞かれることもしょっちゅうある。それでも僕のスプーン曲げは錯覚と視線誘導とギミックを使ったトリックに過ぎないが、ユリ・ゲラーや超能力少年はもしかしたらサイコキネシスで曲げている、というロジックは全く通用するので、本当に科学的な態度としてはトリックを知っていたところで彼らが超能力者であることを全く否定できないが、それでもそうした方面に関する知識はまるで無いのだな、と思わざるを得ない。人間である限りマジックには騙されるのだから。
 
 『オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険』もまだ途中だけど読んでいる。アマラとカマラの話は僕も教師が話しているのを聞いていて子供心に「ホントか?」と思っていたが、やっぱり信憑性の怪しい話だったんだね。他の文献には当たってないし、これだけで捏造だと断定するわけにもいかないだろうが、まあカスタネダの与太話くらいに扱っておくのが妥当なんだろう。