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映画『子宮に沈める』を観た。

 後からネットのレビューをざっと読んでみたら酷評の嵐で、まあ無理もない。これに付き合わされた子役が可哀想になるくらいダメな映画だった。

 この映画にはほとんど何もない。子供が育児放棄された"現場"を描く、というコンセプトを思いついた監督が、その通りにただただ子供たちが衰弱していく過程を安易に撮っただけの映画だからだ。そりゃ映像としてはセンセーショナルだし、可哀想だし観ている方も辛くなってくるが、本当にそれだけの映画である。

 母親が育児放棄に至るまでの過程も描かれてはいるものの、希薄な描写しかされておらず、ほとんど何も語っていないと言っていい。夫に捨てられ、夜の仕事を始め、やがて育児を放棄する、といった以上の描写はなく、事件当時の(『夜の仕事をしているシングルマザーが育児を放棄した』的な)ステレオタイプな理解の範疇をまったく出ていないのは致命的だ。描写を省くことで想像の余地を残したつもりなのだろうが、正直かなり無理がある。もしこれだけで、この母親のバックボーンが想像できるのなら、当時のニュースを観ても同じように想像できるだろう。監督がインタビューで語っているような"母性"について考えるようなナニカを提供できているとは言い難い。

 やや好意的に観れば、色々な母親に当てはまるようにするため、ある程度は希釈された母親像になるのは仕方なかった、とは言えるだろうが、残念ながら根本的に説明不足である。事件の情報収集もネットや本でしか(曰く「敢えて」)していないということだが、"社会派"を標榜している以上は単なる怠慢だという誹りを免れないだろう。

 また、終始淡々としたタッチで撮っているわりには監督の作為というか、自意識のようなものが時折り混ざるのも不快感を煽る。たとえば弟が目覚めなくなってしまい、砂嵐のテレビをつけたままハッピー・バースデー・トゥー・ユーを歌うシーンなどは本当に酷い。なぜわざわざあんなわざとらしい演出をする必要があったのか? 客観的に映したいと言いながら、あのような「どうよこれ、おぞましいだろう」と言いたげな映像を差し挟むのは監督のマスターベーションでしかない。ラストもまったく同様である。これはドキュメンタリーではなく、あくまでフィクションであるが、実話ベースを謳いながら様々な要素を拝借することでリアリティを確保してしまっている以上、そんな言い訳は逃口上にしかならないだろう。

 実話を題材に採るならもっとちゃんと撮れよと言いたくなる。そういう責任感が全く感じられない映画。